小森谷 浩志2025.10.17
受動的な瞑想
三木清(1897-1945)という思想家がいます。手にすることが容易な、今も読み継がれる作品に『人生論ノート』があります。死、幸福、懐疑、習慣、虚栄、名誉心、怒などのテーマについて書かれた、断章集です。
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人生論ノート (新潮文庫)
その書籍には「ハイデッガーに師事し、哲学者、社会評論家、文学者として昭和初期における華々しい存在だった」と紹介されています。華々しさの反面、治安維持法で投獄され、教職を失って、敗戦したにも関わらず、解放されず、獄死しています。かなり厳しい、壮絶な人生と、その最期だったことは、想像に難しくありません。
この書籍に「瞑想」をテーマにした章があります。その冒頭に次のような言葉があります。
瞑想を、積極的に、自らしていくものとして捉えていません。こちら側の準備によって、受け取るもの、立ち現れるものとして捉えています。整えることで起こる、受動的な創造性だというのです。
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マインドフルネス瞑想の功罪
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三木が、もし現代社会で流布している、アメリカ発の「マインドフルネス」について聞いたら、驚いてしまうでしょう。
生産性を上げて、創造性を上げてと、離職率を下げて、脳科学的には・・・と、様々なエビデンスと効能ありきの、企業研修や自己啓発としてのマインドフルネス。効用を獲得して、優れたビジネス・パーソンになるための、単なる手段になった瞑想に、落胆を通り越して、呆れ果ててしまうのではないでしょうか。
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