村田 太2025.12.19
こんにちは、ジェイフィールの村田です。
前回のコラムの後、「大人も子どももウェルビーイングな生き方とは」をテーマにウェビナーを開催しました。
アーカイブも公開していますので、ご関心のある方はぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=FaTIGTUu_3Q
今回は、ウェビナー後のアンケートと、ゲストの脇こなぎ先生の言葉を手がかりに、
“教育と社会の分断”について、もう一段深く考えていきたいと思います。
実は、このウェビナーには企画段階から一つ不安がありました。
こなぎ先生が関わる「学びの多様化学校」は、不登校経験のある子どもたちが集まる、ある意味では特殊な環境です。
その話を、日々忙しく働くビジネスパーソンの方々が“自分のこと”として受け取ってくれるだろうか。
そこに正直な葛藤がありました。
企業の文化変革に携わる一方で、NPOでは小中学生にドリームマップ®の授業を届け、
オランダの教育現場にも触れてきた経験から、私は「学びの多様化学校」は特殊事例ではなく、社会の縮図としての“未来のモデル”だと感じてきました。
ただ、それがどこまで伝わるのかは当日まで気になっていたのです。
ところが、アンケートには予想以上の“自分事化”の声が並んでいました。
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大人が幸せでなければ、子どもに安心を渡せないと気づいた
企業で起きていることと、学校で起きていることが重なって見えた
自分は地域住民で、保護者で、会社員で…全部“同じ私”だった
教育の話をしていたつもりが、いつの間にか“大人の話”になっている。
この反転こそ、今回のウェビナーで得られた最大の手応えでした。
ここからは、アンケートの声を頼りに、“大人のあり方”が教育と社会の分断にどのように影響しているのかを見ていきます。
なぜ日本では「当事者意識」が育ちにくいのか
日本では、教育や地域を「自分の課題」として考える感覚、“シチズンシップ”が育ちにくいと言われます。
しかし、それは個人の怠慢ではなく、戦後の社会構造が深く影響しています。
高度成長期、日本人の社会参加の中心は“会社”にありました。
働くことが社会参加のほぼすべてを占め、地域も行政も学校も、生活から遠ざかっていきました。
その結果、企業人・保護者・地域住民・市民という複数の顔はつながらず、分断されたまま今日に至っています。
この“多重性の断絶”は、教育と社会が交わりにくい根本的な要因でもあります。
アンケートが示した3つの潮流
アンケートの言葉を丁寧に読み込むと、3つの大きな潮流が浮かび上がりました。
① 対話は“教育だけのテーマ”ではなかった
「違いを恐れない対話こそ未来をひらく」
学校・企業・地域、どこでも同じ構造がある。
“対話の不在”は社会全体の課題として立ち上がりました。
② 子どもの幸福度は“大人の幸福度の鏡”
「大人が幸せでないと、子どもに本当の安心を渡せない」
大人のウェルビーイングと子どものウェルビーイングは切り離せない。
第4回で扱ったテーマが、参加者の実感によって裏づけられました。
③ “当事者意識の弱さ”は教育ではなく大人側の問題だった
「企業人=地域住民=保護者…当たり前なのに見えていなかった」
教育の問題は、結局は大人の生き方の問題へとつながっていきます。
“わたし”のあり方が、分断をつくりも、つなぎもする
子どもに主体性を求めるなら、大人が“自分で決める”経験を取り戻す必要があります。
子どもに対話を求めるなら、大人が違いを越えて対話する姿を見せる必要があります。
そして子どものウェルビーイングを願うなら、大人自身がウェルビーイングに生きることが欠かせません。
教育と社会の分断は、制度の問題だけではなく、
大人のあり方そのものに宿っていた。
アンケートの言葉を読みながら、その確信が強まりました。
こなぎ先生の実践は“大人の未来のモデル”
こなぎ先生が日々つくる環境
違いを尊重し、失敗が許容され、そこから主体性が育つプロセス。
これは教育現場の物語であると同時に、企業組織やコミュニティの未来像にも重なります。
子どもの変化は、大人の未来の姿でもあります。
教育は、大人がこれから社会をどうつくり直すのかを示す“先行モデル”なのだと感じました。
働くことは、シチズンシップの実践そのもの
働く私たちは、同時に保護者であり、地域住民であり、市民でもあります。
この多重性をつなぎ直すことが、教育と社会の分断を超える第一歩です。
対話する力、違いを越えて協働する意志、
自分の人生の舵を握る感覚、ウェルビーイングを大切にする生き方。
これらはすべて、シチズンシップの核であり、働く日常の中にすでに存在しています。
次回の第6回では、
大人・子ども・学校・地域・企業がどのように循環し合うのか、
“未来のエコシステム”として描きます。
教育と社会の分断を超える旅は、
大人一人ひとり、自分の生き方を取り戻すところから始まります。