村田 太2025.10.10
こんにちは。ジェイフィールの村田です。
前回のコラムでは、「対話の不在」が学校現場に静かな分断を生み出していることをお話しました。
その背景には、先生たち自身の“余白のなさ”や、“ねばならない”という強い意識があります。
今回はそこから一歩進めて、「ウェルビーイング」という視点で考えてみたいと思います。
対話が失われがちな現場で、先生たちがどんな思いや葛藤を抱えているのか。
そして、対話とウェルビーイングが交わる場所に、どんな希望が見えるのか。
そのことを、企業社会との共通点にも触れながら探っていきます。
オランダの学校からの気づき
2年前、教育視察で訪れたオランダの学校で、とても印象的な言葉を聞きました。
ある校長先生に「子どもにとって大切なことは何ですか?」と尋ねたとき、返ってきた答えはこうでした。
自分自身を知っていること。そして、自分で選択することです。
自分で選ぶことが幸福につながる。だからこそ、学校教育の中で「選択する経験」を徹底的に重視しているというのです。
そして「自分を知る」とは、自分の感情や思いと向き合うこと。
さらに、他者との関わりの中でこそ、自分を認識できる。そうした「つながる感覚」も大切にしていました。
別の学校で先生方に「あなたにとって幸せとは?」と尋ねたとき、多くが「自分らしくいること」と答えました。
そこには、自己理解と自己決定こそがウェルビーイングの源泉であるという確信がありました。
日本の学校現場から見えてきた課題
一方、日本の先生方と研修でご一緒すると、対話が難しい背景が見えてきます。
ある先生はこう語りました。
「意見を否定された瞬間、自分そのものを否定された気分になる」
その経験が繰り返されるうちに、
「これ以上言っても仕方ない」
「どうせわかってもらえない」
そう思ってしまい、対話を諦めてしまうのです。
さらに先生たちを縛っているのは
• 「失敗してはいけない」「常に模範でなければならない」という意識
• 学校現場の「献身性の美徳」「がんばって当たり前」の文化
• 「先生は子どものために」「教育者として当然」の自己犠牲
その結果、子どもや保護者優先で、自分の心身・感情・時間は二の次にされがちになり
“ワクワクする余白”を持つことが難しくなっています。
こうした構造こそが、先生たちのウェルビーイングを静かに損なっているのだと思います。
対話 × ウェルビーイング
日本の学校や先生たちの現実は、オランダの姿とはまだ距離があるかもしれません。
けれど、先生自身が安心して対話できる時間や余白を持てたらどうでしょうか。
お互いに声をかけ合い、感情に耳を傾け合う。
その小さな一歩が、先生の心を少し軽くし、笑顔を取り戻すきっかけになるはずです。
対話は関係性を回復し、先生のウェルビーイングを支える入り口になる。
私は「対話」と「ウェルビーイング」が交差する地点に、可能性があると考えています。
対話は、安心して自分を出せる余白を生み出します。
ウェルビーイングは、自分らしさを取り戻す力になります。
この二つが重なったとき、先生自身がイキイキと働き、
子どもたちにとっても“幸せに生きるモデル”となれるのではないでしょうか。
オランダの子どもたちの幸福度が高いのは、先生たち自身が幸福であるから。
そして、その先生たちを支える校長先生や、対話を促す仕組みが、学校全体のウェルビーイングを生んでいる。この循環の発想が、日本の教育にも、企業社会にも今こそ求められていると感じます。
学校における“ねばならない”は、企業社会における「成果を出さねば」「効率化せねば」と同じ構造を持っています。
だからこそ、先生も企業人も、「対話とウェルビーイング」をどう取り戻すかは共通の課題です。
次回は、先生自身のウェルビーイングをより深く掘り下げ、 「自分らしくいること」「選択できること」が、なぜ教育や社会の未来につながるのかを考えるきっかけとして、大分県玖珠町の「学びの多様化学校」で実践を続ける先生をお招きして、セミナーを開催する予定です。
対話を大切にしながら新しい教育のあり方に挑む先生の声は、学校関係者だけでなく、企業で働く私たちにとっても多くの示唆を与えてくれるはずです。 放課後の教室から、LIVEで語っていただく予定です。 ぜひ一緒に、そのリアルな声に耳を傾けてみませんか?
(詳しい情報は、後日HPに掲載します。)