村田 太2025.07.01
こんにちは。ジェイフィールの村田です。
私はふだん、“感情”や“関係”を軸にした「人・組織・社会」の変革を支援しています。
そんな中で、最近、とても気になっていることがあります。
それは、「学校」や「教育」という場所と、私たち社会とのあいだにある、“静かな分断”のことです。
この話をすると、「それは教育関係者の仕事でしょ?」と言われることもあります。
たしかに私は教師でもなければ、教育行政に関わっているわけでもありません。
でも、あえて言いたいのです。「学校の話は、社会の話でもあり、わたしたち一人ひとりの話でもある」と。
数年前、私の子どもの小学校で実際に起きたある出来事がありました。
小学校低学年のとき、担任の先生が2人続けてメンタル不調で休職されたのです。
そのうちの1人は1年目の若い先生。2人目の休職が決まったとき、ついに保護者向けの緊急説明会が開かれました。
そこには、校長、教頭、学年主任と管理職が並び、経緯の説明を行いました。
でも、その場は「説明の場」であって、謝罪も、今後の改善策の提示もありませんでした。
一方で保護者側も、「子どもに悪影響が出ている。来年はちゃんとした先生をつけてほしい」と感情的に訴える声が続きました。
ある男性保護者は「校長は社長みたいなものでしょう?企業なら責任をとって改善案を出すべきだ!」と詰め寄り、鬼の首を取ったような顔をしていました。
その場は、それぞれの声が交わらない、“すれ違いの空間”のようでした。
誰もが“自分の立場だけで正義”を語っていました。
でも、誰ひとりとして、「じゃあ、子どもたちのために何ができるか」という対話には向かっていなかった。
その光景を目の前にして、私はとても残念な気持ちになりました。
もしあの場に子どもたちがいたら、何を感じるだろう?
大人たちは、どんな社会をつくろうとしているように見えただろう?
それが、私の問題意識の出発点です。
ジェイフィールでは、「仕事が面白い」「職場が楽しい」「会社が好きだ」
そんなふうに語れる大人を増やしたいという創業時からの思いを大切にしています。
それは、単に企業を元気にしたいということではありません。
子どもたちの目の前に、誇りをもって生きる大人の姿を見せたいからです。
そして、そうした姿が社会に増えることで、未来への希望やつながりを子どもたちに手渡せる社会にしたい。
だから私は今、「教育と社会の分断」というテーマでコラムを書くことにしました。
これは、誰かを責めたり、制度を批判したりするためのものではありません。
むしろ、私自身の中にもある“無関心”や“分断”と向き合う旅でもあります。
この連載では、教育の現場にある“静かな分断”に耳をすませながら、
そこに生きる大人や子どもたちの声を通じて、社会とつながる手がかりを探していきたいと思います。
あなたのまわりにも、誰かとすれ違ったままの「見えない分断」はありませんか?
次回は、ある校長先生の言葉をきっかけに、「リーダーに孤独はつきものなのか?」という問いについて考えてみる予定です。
よろしければ、次回もお付き合いください。
次回▶「校長先生は、何にひとりで向き合っているのか?」