正木 宏和2026.04.24
第6回開催レポート
テーマ:私たちにいま、問われていること
■ もやもやを持ち寄る、最終回
全6回の分断を超える対話の旅も、いよいよ最終回。これまでのセッションを通して少しずつ見えてきたのは、分断を超えるために大切なのは「何を話すか」ではなく「何が問われているのか」を一緒に探し続ける姿勢そのものでした。そして今回は、対話の型を使って、受講者それぞれが職場で抱えている、もやもやを持ち寄って対話を進めました。
「今、自分が本当に問われていることを、みんなで一緒に探求してみませんか」
ファシリテーターの高橋は、冒頭でそう投げかけました。
役割も立場も違う受講者たちが、普段は口に出しづらいテーマを、それぞれの言葉で場に置いていきます。
対話の作法はこれまでと同じ。客観視し、背景を知り、本質を問い、探求する。しかし今回扱うのは、誰かから与えられた問いではなく、自分自身が抱えてきた問いです。他人のもやもやを聴くということは、同時に、自分がこれまで見て見ぬふりをしてきたものと出会うことでもあります。
■ 問いに分け入る──それぞれの“もやもや”に触れて
グループに分かれての対話。一つのテーマにつき20分。自分の問いをなぜ選んだのかを語り、周りのメンバーが背景を問いかけ、そこから今、私たちは何を問われているのかを一緒に探していきます。
「自分のもやもやを、みんなも同じように抱えていたことは、大きな気づきでした」
「女性活躍」というテーマを持ち寄った受講者の一人は、対話を終えてこう語ってくれました。外圧として下りてくる「活躍」という言葉への違和感。活躍の陰にはそれを支える誰かがいて、活躍の形は一つではない。活躍って、そもそもなんだろう。
もし一人で気持ちよく仕事ができる環境があったとして、自分は本当にそれを選ぶだろうか。人と仕事をするってなんだろう
そんな問いを投げかけた受講者もいました。人と関わることは、正直、煩わしいことも多い。それでも一人では埋められないものがある。煩わしさの隣にある手放せない何か。自分は何を大切にしているのだろうか。
また、別の受講者は「すれ違い」というテーマを持ち寄る過程で、まさに様々な「すれ違い」と出会いました。
すれ違いと言った時点で、もう主観で判断してしまっている。感情のすれ違いなのか、プロセスのすれ違いなのか。そもそもすれ違いがなくなったら人間は生きていけないのかもしれない
私たちが、何気なく、当たり前のように使っている一言の中にも、時には奇妙で、時には許せない、そして時には優しい「すれ違い」がある。こうした「すれ違い」から「分かち合い」をともに取り出していくプロセスも対話の一つの醍醐味かもしれない。
■ 人間らしさとは何か
グループ対話のあと、高橋はあらためて全員に語りかけた。
AIが目的さえ示せば段取りを組み、実行まで導いてくれる時代がもう来ている。その時、人間に残る力や人間らしさとはなんだろう。
これってやる必要があるの?本当にこれでいいの?──
この"問う力"こそが、人間にしか持ちえない大事な力になっていくのではないか。こうした「問う力」が人や組織に宿り、すれ違いさえも分かち合い、そしてそれらを重ね合いに変えていけるような対話が広がっていく。そのために必要なことは何だったのだろうか。
■ 終わりに
セッションの最後、受講者たちはそのヒントとなるような言葉を残してくれました。
自分なりの思想の軸を耕して、社内外で仲間をつくりたい
新しいチームの仲間とまず知り合うところから始めたい
やっぱり対話っていい、こうした集まりは続けていきたい
伝わらないことはある、でもやっぱり諦めちゃだめんだろうな
“人を知ることは、自分を知ること”、そして一人では自分を知れない
職場ですこしでも対話の場を広げていきたい
6回のゼミを終えて、受講者のモヤモヤがクリアになったということはないと思います。そして、そのモヤモヤは完全になくなることはないのかもしれません。それでも、誰かと「一緒に問う」という営みの可能性や力強さに触れ、静かなる分断を超えていくヒントがそれぞれの形で見えてきたのではないでしょうか。
分断を超えるということは、一緒にどこかにたどり着くことではなく、あきらめずに問い続ける姿勢そのものを互いに差し出し合うことなのかもしれません。