村田 太2026.07.16
こんにちは、ジェイフィールの村田です。
前回のコラムでは、市民性は「気づいたら育っていた」一方で、「気づいたら途切れてしまう」ものでもあるのではないか、という話を書きました。
では、なぜ日本では、市民性がこれほど後回しになりやすいのでしょうか。
それは、個人の意識が低いからなのでしょうか。
社会課題に関心がないからなのでしょうか。
私は、そう単純には言えないと思っています。
日々の仕事、家庭、子どものこと、親のこと、生活のこと。
目の前の責任を果たしているうちに、教育や地域、民主主義や社会の未来について考えることは、どうしても後ろに下がっていく。
その「余白のなさ」は、個人の問題というより、日本社会の成り立ちそのものと関係しているのではないでしょうか。
今回はそんな問いから、少し過去にさかのぼって考えてみたいと思います。
自分の幼少期を振り返ると、学校と家庭、地域の距離は、今よりもずっと近かったように感じます。
学校行事は、学校だけのものではなく、地域の出来事でもありました。
先生の存在も今より身近で、近所の大人たちが、子どもたちをなんとなく見ている感覚もありました。
ただ、最近、私自身も子どもを育てるようになって、こうも思うのです。
その「近さ」は、本当に市民性だったのだろうか、と。
昔の学校と地域の近さには、たしかに良さがありました。
行事への参加、子どもの見守り、先生への信頼。
地域の空気の中で子どもたちが育っていく、大切な共同性があったと思います。
一方で、それは対話的な参画というより、慣習的な関与だった可能性もあります。
学校や教育のあり方を、先生、保護者、地域が対話しながらともにつくる。
地域の未来や子どもの学びを、自分たちの問題として引き受ける。
意見の違いを扱いながら、どういう学校や社会をつくっていくのかを考える。
そうした意味での市民性とは、少し違っていたのではないかと思うのです。
では、戦後から高度経済成長期にかけて、多くの大人はどこで社会とつながっていたのでしょうか。
その中心にあったのが、会社だったのではないかと思います。
会社に所属し、懸命に働く。
与えられた役割を果たし、成果を出し、家族を支える。
それは、単なる私的な営みではありませんでした。
会社は、多くの人にとって社会とつながる主要な場でもあったのだと思います。
会社でよく働くことが、家族を支えることであり、経済成長を支えることであり、社会に貢献することでもあった。その意味で、企業へのコミットは、たしかに社会参加の一つだったのだと思います。
私自身も、バブル崩壊後に社会人になった世代として、会社の中で一生懸命働き、与えられた役割の中で成果を出すことを強く意識してきました。
それは不真面目だったからではなく、むしろ真面目に社会に関わろうとした結果でもありました。
与えられた役割を果たし、組織に貢献することが、自分にとっての社会との関わり方だったように思います。
ただ、いま振り返ると、その頃の私は、社会を「自分たちでつくるもの」として捉えていたわけではありませんでした。
会社の中で役割を果たすことと、社会の決め方に参加すること。
与えられた目標に応えることと、未確定なものを自分たちで引き受けること。
組織に貢献することと、社会をともにつくること。
それらは、重なっている部分もありますが、同じではありません。
ここに、日本で市民性が後回しになってきた理由の一端があるのではないかと思います。
市民性が消えていたのではない。
むしろ、会社の中で役割を果たすことと、社会に関わることが、かなり重なっていたのではないでしょうか。
「よき市民」である前に、「よき会社員」であることが、社会参加の中心になっていたのかもしれません。
もちろん、今の日本社会が、戦後から高度経済成長期にかけてつくられてきた企業観や社会観を、そのまま引きずっているだけだと言いたいわけではありません。
むしろ近年は、特に若い世代を中心に、会社に人生を丸ごと預けることへの違和感や、働くことだけで自分の人生を定義しない感覚も広がっているように思います。
仕事は大切だけれど、それだけが人生ではない。
会社に尽くすことだけが、社会に参加することではない。
自分らしく働きたい。
暮らしも、家族も、地域も、学びも大切にしたい。
そうした感覚は、これまでの会社中心社会を問い直す大切な動きだと思います。
ただ、ここにもまた難しさがあります。
会社中心の共同体から個人が解放されることは、とても大切です。
けれど、個人がそれぞれ自由になるだけでは、社会を「自分たちでつくる」感覚が自然に育つわけではありません。
会社の中で担われていた市民性が弱まり、個人の自由や選択が広がる。
しかしその先に、教育や地域や社会の未来を、ともに考え、ともにつくる関係性が育っているかと言えば、まだ十分ではない。
ここに、いまの日本社会の難しさがあるのではないでしょうか。
企業共同体は、かつてほど人を包み込まなくなっている。
地域共同体も、学校と地域の関係も、以前のように自然に人をつなぎとめるものではなくなっている。
けれど、その代わりになる新しい市民社会や共同性が、十分に育っているわけでもない。
その空白の中で、私たちは社会を「自分たちでつくるもの」として感じにくくなっているのではないか。
だから、今必要なのは、昔の共同体に戻ることではないのだと思います。
昭和的な学校と地域の近さには、良さがありました。
けれど、そこには慣習や同調圧力もあったかもしれない。
会社中心社会にも、生活を安定させ、人々に役割と所属を与える意味がありました。
けれど、それだけでは、これからの社会をともにつくる市民性は育ちにくい。
必要なのは、個人化を経験した後の、新しい共同性です。
学校を支援するだけではなく、教育を通じてともに社会をつくる関係性。
会社に尽くすだけではなく、働く場を通じて社会との関わりを引き受け直す感覚。
地域に所属するだけではなく、違いを前提に対話しながら、新しい関係をつくっていく経験。
市民性が育ちにくいのは、個人が無関心だからではない。
余白を持ちにくい社会構造の中で、後回しにされてきたのだと思います。
では、私たちはどこで、社会を自分たちでつくる感覚を取り戻していけるのでしょうか。
一つの手がかりは、実は企業の組織変革の中にもあるのかもしれません。
次回は、自主性と主体性の違いから、組織の中のシチズンシップについて考えてみたいと思います。
<これまでのコラム>
第7回 市民性は、なぜ続かないのか ~個人の意志に任せないために~
第6回 教育と社会をつなぐ、その「先」へ
第5回 大人が変われば、子どもは変わる
第4回 「対話」と「ウェルビーイング」が交わるとき
第3回 “当たり前”の中に潜む、学校の対話の不在
第2回 “あいだ”に立つリーダー、校長先生の見えにくさ
第1回 なぜ、学校の話を“わたし”が語るのか